安倍峰子 Mineko Abe
クラシカルホメオパス
ビーマーライトペン・ティーチャー
Knowingインストラクター
東京生まれ。
慶應義塾大学文学部卒業 哲学科美学・美術史学専攻
2016年、結婚40年を迎え、一男2女、孫4人あり。
人生のターニング・ポイントを迎えた30年程前より、世界各国から来日するティーチャー、ヒーラーに会い、また霊気、オーラ・ソーマ、算命学等を学ぶ。
KNOWINGのゲリー・ボーネル師には、1995年に、ホメオパシー、ビーマーライトペンの師、Dr.ロバート・ハジンガー&ガーラ夫妻には2000年に巡り会い、以来師事し現在に至る。
ーホメオパシーとの出会い
1985年の日航機事故の翌日の、嵐の中、激しく揺れる日航機に搭乗してから、飛行機に乗るのが困難に。
この事故を遡る事およそ10年前には、エレベーター事故に遭遇し、2ヶ月後にパニック・アタックを経験。
ストレスがかかると、息苦しく、2000年にホメオパシーに出会うまで、20年以上、「自分の体がいつ襲って来るのか。」という不安がありました。
ホメオパシーにで出会った時、まさか、その不自由さが解消されるという期待は持っていなかったし、また、不自由であると言う自覚もありませんでした。
ところが、2002年に摂ったアコナイト(トリカブトのレメディ)が、私の自由を回復しました。
2003年には、イタリア政府がホメオパシーの保険診療を認め、Pro.G・Vithoulkasがローマで記念講演を行いましたが、私はその聴講に行く事が出来ました。
お題は”Panic Attack & Anxiety"パニックと不安。
正に、アコナイト以前の私の事でした。
以来、ロバート夫妻が開催するウンブリアのサマースクールへ、またゲリー・ボーネル師のガイドするペルー旅行に、またインドへも、長いフライトを楽しんでします。
実はアコナイトに先立ち、ゲリー師からは、「これから沢山、飛行機に乗るよ。君の乗る飛行機は大丈夫だからね。」と、アカシック・リーディングで太鼓判を押されていました。(笑)
2005年にホメオパシーのディプロマを取得。
歓びと共に、そこからまたホメオパシーの研鑽の日々。
ホメオパシーは病気を診るのではなく、人間を観ます。
ホリスティック、全体的に、しかもありのままをのその人を観る療法。
それには、自分自身を成長させる必要があり。
ーKnowingとの出会い
1995年、ゲリー・ボーネル師の初来日の際、アカシック・レコードのセッションを受けました。
阪神淡路大震災の直後です。
恐怖と罪悪感を伴う無力感で、わたしは体中が痛んでいました。
ところが、2つの転生のリーディングで即座に、その痛みは消えたのです。
アカシック・リーディングが人を癒すのを知りました。
そして、2007年Knowing Schoolが開講されました。
「創造における人間とは何か」
古代から伝えられるこの叡智Knowingは、私たちの内側にある叡智に導きます。
ちなみに、ホメオパシーの祖,ハーネマンが「観察」という視点を学んだのは、その多くがルソーからで、時空を超えてホメオパシーとKnowingは深く繋がっているのです。(この謎をお知りになりたい方は、お問い合わせフォームをご利用ください。)
2014年に、Knowingインストラクターに認定され、
Knowingをクリアにお会いする方に伝えたい、という願いが叶いました。
Knowingを伝える、そしてそれを生きる事もまた、私の心からの歓びWillingnessです。
ービーマーライトペンと私
その前年、2013年、Dr.ロバート&ガーラ夫妻は日本初のビーマーライトペン(以下BLP)・ティチャーを誕生させましたが、私は7人のティーチャーの内の一人となり、現在に至ります。
BLPはホメオパシーと共に同じ年数(15年)人生を共にし、知らず知らずの内に私にとって大きな存在となっていました。
ですが、BLPのその威力に目が覚めたのは、ティーチャー・コースにおいてでした。
Dr.ロバート&ガーラ夫妻のウンブリアのリトリート・センターがBLP無しには実現しえなかった事に、突然気づいたのです。
BLPはハートの望みをクリアにし、維持して行くのをサポートする強力なツールです。
クラシカルホメオパシー、ビーマーライトペン、Knowingは、ご自身の持つ健やかさ&ユニークさを滑らかに世界に表現されて行くことを力強く、エレガントにサポートするものです。
みんさまが「なれるものになる」ことを心から願うと共に、
そのサポートをさせていただけましたなら、それは、この上ない歓びです。
WELLNESS✨